スーサイド・スクワッド

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DCコミックスの映画化企画、DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)の、一作目の「マン・オブ・スティール」(視聴済み)、二作目の「バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生」(視聴済み)に続く三作目。

作中世界に存在する超自然的な能力を持つメタヒューマンの脅威に対抗する勢力として、米政府は重犯罪者であるものの強力な能力を持つ者たちによって構成される「スーサイド・スクワッド(決死部隊)」を組織。隙あらば自分たちに銃を向ける彼らを、首に付けさせた小型爆弾で脅しつつ軍事力として利用しようとする。

原作は未読で映画秘宝の特集見たくらいの知識で見た。そんな状態だったからかジョーカーが主役だと思っていたら、実際にはウィル・スミス演ずるデッドショットが主人公だった。そもそもジョーカーはスーサイド・スクワッドのメンバーですらない。広告や雑誌だとジョーカーがメインに思われるような紹介してるが、この辺に大人の事情を感じる。

構成やキャラの使い方があんまり良くない。初っ端からキャラクターの紹介で30分くらい使うのは悪手じゃないかな。キャラが出てきて名前とプロフィールがテロップで表示されるギャルゲーのOPみたいな演出もハリウッド映画で初めて見た。これやらないと客から「誰が誰なのか分からない」って言われると思ったんだろうか。それならメインバトルの前に適当に強い敵キャラを用意して、各キャラが能力をフル活用して印象付けるパート用意したほうが良かったんじゃないか。というか欲しかったな……。

キャラクターの使い方とかも例えばエンチャントレスなんかもったいない。ムーン博士自身はごく常識人であるが魔女になると超危険っていうのは「味方キャラなんだけど爆弾抱えてる」っている定番のオイシイ設定なのに……。ムーン博士がメタ的に見るとフラッグ大佐の動機になってるくらいで、ほとんど印象に残らない。(でもハーレイ・クインもそうだが、地味メガネ女子の悪堕ち好きなんだなっていうのはいっぱい感じた)

そもそもスーサイド・スクワッドのメンバーって、わざわざ危険を冒してまで使わないといけない人材なのか疑問である。エル・ディアブロなんかは納得の強さなのだが、基本的に軍隊と近代兵器で代用が効く場合は無理に使わなくてもいいんじゃないだろうか(特にバットで戦うハーレイ・クインとか)。出撃するシーンがあるのだが現地到着まで手間と時間がかかりすぎていて、そんなところに一番ヒヤヒヤする……。設定上は「ヤバいときには適当な理由をつけて爆殺して楽ちん隠蔽」というアマンダの個人的な思惑が強いのかもな。

ところで監督のデヴィッド・エアーを調べていたら結構面白い経歴の人だった。ロサンゼルスのサウス・セントラルというかなり治安が悪いことで知られる地域の出身であり、ギャングの抗争などを身近に育った人物であったが海軍に入隊して本人はギャングにならずに済んだ。その後、除隊してロス警察や軍隊の映画を撮っている。

そういう経験をもつ人だからか犯罪者であるメンバーも単純に悪い奴としては描いていない。逆に体制側であるアマンダが、心臓を使って魔女を煽ったりしなければ今回の事件も起きなかったであろう可能性や、発生した事件への容赦のない隠蔽体質など、ヘイトが集まるように演出されている。この辺は意図的にやってるんだろう。そしてそんな彼女も結局裁かれず、ED後にバットマンに情報を渡して終わる。

ノーラン版バットマンの「ダークナイト」ではゴッサム・シティの電話網を盗聴してアルフレッドに眉を顰められたウェインだが、こちらでも犯罪者を捕まえるなら手段を選ばないらしい。「バッツ的にはアマンダは悪じゃないんかいな」とか「なんでこんな大事件でお前もワンダー・ウーマンも来なかったの?」とか思わないではないが、次回はスーパーマンの復活に仲間の出迎えに彼も忙しくなることだろう。

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