マグノリア

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約3時間の上映時間、始まっても場面も登場人物もどんどん切り替わって誰が主要キャラなのか分からないままずっと続く、というかなりハードルの高い映画である。

なのになんで見たかというと、荒木飛呂彦の漫画、ジョジョの奇妙な冒険に、この作品を元ネタにしたシーンがあると聞いたからなんとなくというしょうもない経緯であった。ちなみにジョジョには映画を元ネタにしたシーンが数えきれないくらいあるので、この映画もあくまでその一つでしかない。

感想

群像劇なのでたくさんいる主要な人物が出そろうのが始まってから約一時間後(映像で明らかに一区切り付きましたよと教えてくれる)。この時点でも、そもそもこの映画は何をする映画なのかが見えてこない。

それでそのうち、登場人物らには実は関係があって和解などがあって個々の問題が解決していって……。といった形で終わる。

それで結果から言うとあまり面白くなかったのだが、何故だろうと考えてみた。おそらく答えの一つは「テーマや心情を台詞で説明しているから」である。

普通、こういったものは直接台詞などで説明しない。登場人物の行動と結果、演出などで表現されるものである。この映画は特別大きな事件が起こるわけでもなく、登場人物の会話で話が進んで、絵的な動きもない、というものでこれを3時間は辛かった……。

私は群像劇に憧れのある人間だが、やはり絞って集中して作ったほうが良いのかもしれない。

ラストシーンについて

終盤には「大量の蛙が空から降ってくる」という非常に印象的なシーンがあり、これがジョジョの奇妙な冒険第6部のサヴェッジガーデンで毒ガエルが大量に降ってくるシーンの元ネタになっている。

それを知ったうえで視聴したので、どういう経緯でカエルが降ってくるんだ?と思っていたのだが、全く説明なしに振ってくるので唖然とした。伏線や前振り無しで振ってくるのである。

メタ的な意味は調べてすぐに分かった。旧約聖書のエピソードが元ネタになっていて、罪に対する戒めとして登場している。

それは良いのだが、それをやるためだけに何の脈絡も無しにそういうシーンがあることに冷めてしまうのは私だけなのだろうか?もしこれがカエルが降ってくる展開がちゃんとあって、実はこの描写は聖書のこれに掛かっているんだ!となったら素直に感心するのだが(というかそれが普通だと思うのだが)本当に何の準備もないのである。

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