死の鳥 – ハーラン・エリスン

Facebook にシェア
Pocket

アメリカSF界ではカリスマ的存在だが日本では邦訳に恵まれないハーラン・エリスンの短篇集。1冊目の邦訳である『世界の中心で愛を叫んだけもの』からなんと約40年も経過してようやく出た2冊目の邦訳であり、SFファンにとっては大御所である為に遅すぎた感が凄い。嬉しいけどなんで今更……。

概要

SF界きっての鬼才の 名品全10篇を結集!華麗な技巧・文体で知られるエリスンの、ヒューゴー賞&ネビュラ賞受賞作をはじめ、代表作を精選した待望の日本オリジナル短篇集 – Hayakawa Online

エリスンは自分で編集したアンソロジーを作ったりしていてヒューゴー賞やネビュラ賞を受けた自身の短編が色々な本に散らばっていたりする(そして邦訳されてなかったり、あっても絶版だったりした)のだが、今回は日本版オリジナル短篇集ということでそういった作品を終結させた、かなり贅沢な内容になっている。

各短編ごとの感想

「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった

時間を守ることが病的なまでに定められているディストピア世界において、マスター・タイムキーパーことチクタクマンに反逆を起こしたハーレクィンの物語。結局ハーレクィンは敗北するのだが、オチを見るに一矢報いたってことでいいのかな。

竜討つものにまぼろしを

主人公ウォレン・グレイザー・グリフィンが死の瞬間に見た白昼夢の話。作中で天国と称される幻想世界で抽象的な出来事が続き、その世界で竜の顎に叩き潰されると現実の世界の方でも死んでいた、という感じだがオチにはっきりとテーマらしきものが書かれているのによく意味が分からなかった。

おれには口がない、それでもおれは叫ぶ

第三次世界大戦中に使われたコンピュータAMによって地球が支配され、主人公を含む5人を残して人類が全滅。その5人も生き延びることが出来たのはAMが憎悪をぶつける対象とするためで、彼らは1世紀以上に渡って拷問を受け続けていた。

以前書いた「秀逸なタイトル SF小説編」という記事でも挙げたが、エリスンじゃなきゃ「力を失った主人公が最後の力を振り絞って~」みたいな感動作品のタイトルに見えるよなぁ。このタイトルはこの短編の最期の文章であり、唯一の人間となった主人公が最後の玩具としてAMに肉体も精神も暴虐の限りを尽くされる文字通りの結末を意味する。

余談だが何故かこれを原作としたゲームが1995年に発売されており、調べてみたら現在もSteamで販売していて驚き。5人の中の1人を主人公として選んで進んでいくADVらしいが、何を思ってこの短編小説を選んだのだろうか。

プリティ・マギー・マネーデイズ

コストナーがラスベガスのカジノで大当たりするというくだりから急にマギーというまったく別の人物の話が入り込むのでエリスンこういうの多いな……と思っていると、アルフレッド・ベスターの『虎よ!虎よ!』みたいなタイポグラフィが出てきてビビった。

そのスロットには以前その前で死んだマギーの魂が憑依しており、それがコストナーに馬鹿勝ちさせていたが、その果てで今度はコストナーが倒れ……という寓話には割とよく見かけるオチ。スロット自体が処分されてしまったので次は無い、というのが悲劇的。

世界の縁にたつ都市をさまよう者

なんと切り裂きジャックが主人公の話である。遠い未来の人類がこの切り裂きジャックを召喚してなんかしているらしいのだが描写を見てもよく分からない。結局このジャックが逆襲して遠未来がてんやわんやになって終了。

死の鳥

エリスンお得意の終末もの。ユダヤ・キリスト教の神が実在し地球を支配している世界の話で、地球を管轄することとなった宇宙人の1人<蛇>がこれを討つために戦うという話。人類がとっくの昔に絶滅した地球で、かつてはアダムであった男ネイサン・スタックを復活させ最終兵器である<死の鳥>を使って神を討つ。途中に『ツァラトゥストラはかく語りき』の引用があるが直球で「神は死んだ」って話だな。

支配していた神が死んでも地球が蘇るわけでもなく死の鳥に包まれてオシマイというのがエリスンらしい。ところどころに現れる聖書・哲学由来の描写、キリスト教社会に生きていれば印象も違ったのかもしれない。

鞭打たれた犬たちのうめき

着想になっているのが傍観者効果(bystander effect)という用語を生み出したキティ・ジェノヴィーズ事件にあることはほぼ間違いない(ちなみに私はこの事件をアメコミのウォッチメンで知った)。

元ネタの事件は、殺害されたジェノヴィーズの助けを聞いていた近隣の住民が数十名いたにもかかわらず誰も助けもせず通報もしなかったというものであるが、それもハーラン・エリスンにかかれば「これは都会に産まれた暴力的な神に捧げる黒ミサであり、彼らはその信奉者なのだ」という理論に。近代社会の住民の心理比喩として面白いかも。

北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中

いきなりハーマン・メルヴィルの『白鯨』ネタから始まる。タイトルも相まってエリスン版『白鯨』なのかな、と思って読むと何が何やらな描写の後、非常に小さい自分の分身を作って自分の体内に突入というアイザック・アシモフの『ミクロの決死線』みたいに展開に。

調べてみるとランゲルハンス島は現実にある島ではなく膵臓内部にある島状の細胞群を指す医学用語で、北緯38度54分、西経77度0分13秒という座標はホワイトハウスの場所。体内のシーンでは存在するはずのない人工物が次々と登場するし、主人公タルボットが自らの魂を探す精神風景ってことなんだろう。

ジェフティは五つ

主人公の友人ジェフティは、5歳のまま年を経ることのない少年。ある時主人公はジェフティのラジオから現代ではありえない放送が流れていることに気づく。

作中に登場する商品や作品の数々が「昔流行したけれど今はもう無いということが(本小説が発行された当時の)アメリカ人には分かる」ものばかりで現代の日本人には全然ピンとこない。「ジェフティは、世界がその進歩の過程で失った、過去の無限の快楽と歓喜をうけとる端末器なのだ」ということだが、なんでそんなことになっているのかの説明もない。テーマ優先の話だと思うのだが、この辺は上手く読み取れなかった。「永遠は無い」ってとこかな。エリスンにしては暴力要素の少ない作品だった。

ソフト・モンキー

路上荒らしから身を隠しながら生きるホームレス女性が主人公の話。SF要素がまったく無いので収録した意図が若干不明であるが、エリスンらしいバイオレンス描写や怒りは感じられる。

Facebook にシェア
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。