アルカイダから古文書を守った図書館員 – ジョシュア・ハマー

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占領と同時に古文書が略奪される危機は去ったものの、より大きな脅威が自分たちを待ち受けていることにハイダラは気づきはじめていた。古文書の多くは、理性的な論考と知的な探求の典型ともいうべきものである。それはイスラム武装勢力にとっては許せないものであるはずだった。何しろ連中は融通のきかない不寛容なイスラムを信奉し、近代化と合理性を憎んでいるのだから。いずれ古文書が破壊の標的となるのは避けられない。 (p211)

イスラム原理主義過激派によって焚書されるであろう古文書を守るために奮闘した男を主人公とするノンフィクション。非寛容な考えから知的遺産が破壊されることを防いだ「知の勝利」の物語であると同時に、近代的なイスラム圏の社会についての知見が得られる本でもある。

37万点もの歴史遺産はいかに救われたか―
西アフリカ・マリ共和国中部のトンブクトゥは、古くから金や岩塩、奴隷などの交易で繁栄、イスラム文化が花開き、16世紀には100以上のコーラン学校やモスクが建てられた「古の学術都市」である。
各家庭でひそやかに保存されてきた往時の手彩色の古文書の多くが図書館に納められて数年後、アルカイダ系組織がマリ北部を制圧した―。 – 紀伊国屋書店

HONZに掲載されていた訳者あとがき(本書末に掲載されているものとまったく同じ)を読んで興味を持って読んだ。

てっきり元々存在しているものを戦況の変化から持ち出すことになった話かと思いきや、まず古文書が公的な場所に集約されるところから主人公ハイダラが関わっていることに驚いた。大まかに三部に分かれており、まずハイダラが古文書を集めて私設図書館を設立するに至るまで、次にイスラム原理過激派の台頭、そして彼らのトンブクトゥ支配から古文書を守る話で構成されている。

主人公のハイダラは父親の遺言によって所有している古書の管理を任されることになったが、さらにアフマド・ババ研究所で古書物の回収の仕事に就く。マリには外部からの侵略と支配によって地下に潜った古文書が各家庭に何百年も眠っておりそれを回収する仕事である。

適性があったのか、『就任してから一年間で前任者が10年かかって集めたものよりも多くのものを集めていた』と書かれるほどの勢いで古文書を集めていく。金持ちに思われないためにわざと粗末な恰好をして、車では決して乗りつけず、交渉委は金銭よりも牛などの交換を使う、という現地ならではの交渉術が面白い。

そして研究所のみならず、すでに自分が遺産として引き継いでいた古文書を私設図書館という形で公表し、トンブクトゥという街自体が世界各地の財団からの寄付によって設立されたその図書館をきっかけに世界から観光客が集まる開かれた街になる。ハイダラはアルカイダから古文書を守った本書の事件で有名になったのではなく、すでにこの時点でナショナルジオグラフィックに長編記事が掲載される(p163)ような人物だったのである。

この辺からアルカイダ台頭の解説の為に現地におけるイスラムの文化の描写に紙面が割かれるようになるが、読んでいると非イスラム圏が考えがちな「イスラム教は不寛容な宗教で~」という考えかたが紋切り型であることに気づく。作中で書かれるイスラム社会は思ったよりも寛容で平和である。

であるからこそ原理主義的な主張をして武装し始める勢力の存在が大きくなってくることへの恐怖も伝わってくる。不寛容な原理主義的な思想に染まっている者たちは現地の人たちにとっても(実際に接するから、むしろ現地の人たちにとって)『異質』なのである。

紹介されているトゥアレグ族(現地の放浪民族)のガリーとマニーの話なんかは象徴的である。マニーの方は欧米のロック音楽に傾倒して「砂漠のフェスティバル」と称して海外からバンドを呼ぶ(レッド・ツェッペリンのロバート・プラントや、U2のボノが参加している)ような開かれた人なので、友人が非寛容なイスラム原理主義に傾倒していく様は恐怖というしかないだろう。かつてトゥアレグ族ならだれもが知っていたリーダーシップを持っていたガリーが今度は部族に総スカンを食らい、原理主義団体を作って他の団体と同盟を組んでマリ政府転覆を測る下り、日本でいうなら炎上でもう誰も信頼されなくなった人間がタレントや政治家になるしかないみたいな袋小路感を感じて切ない。

リビアでカダフィが失脚したことをきっかけに、元々マリ政府に対して独立国家の設立を要望していたトゥアレグ反乱軍と、イスラム過激派が手を組み、リビアであぶれた銃器を集めてマリ軍を打ち破る。この後の支配下におかれたトンブクトゥは『イスラム警察』と彼らが称する原理主義者たちの監視下にあった。

「(彼らの監視によって)女性なのに、おしゃれもできなければ香水もつけられない」という発言が出るくだりは、無知な日本人の私からすると意外である。ハイダラが2人目の奥さんを持った時に1人目に相当言われて堪えたって話もあるから、こちらが思っているよりも恋愛とかも自由なのだろう。

そんな状況の中、冒頭の引用の通りこのままでは古文書が焚書されるのは時間の問題だとハイダラは考えた。本文中にも『ハイダラのチームが用いたのはじつにローテクな手法である』(p282)とあるとおり、古文書の救出は非常に地味な方法で行われた。既に有名人になっているハイダラの人脈で人間を集め、箱に入れて首都バマコまで少しずつ移動するのである。ときには検問は賄賂で切り抜け、うっかり見つかった古文書で嫌疑がかかった時には複数の人間で口裏を合わせて「イスラム教に何ら違反していない」と乗り切り、陸路が駄目になれば川を船で渡って移動する。現代的だと感じるところは、クラウドファンディングで寄付を募った、っていうところぐらいだろう。

この本はその地道な作業で37万冊超の古文書が無事に守られた「知の勝利」を称えるものだが、同時にイスラム圏についての近代的な知見も得られる内容だった。NATOによるリビア攻撃によってカダフィが失墜し、その結果の不安定でイスラム勢力が台頭、次いで先進国の軍が今度はそちらを攻撃するという、見方によってはマッチポンプのような状況はいかにも現代的な社会問題のテーマを含んでいる。

なお、まったく関係ないのだが

今回のフランスによる軍事介入は「セルヴァル作戦」と命名された。セルヴァルとは、サハラ砂漠以南に生息する猫科動物の名である(英語読みではサーバル)。 (p262)

でちょっとクスッときてしまった。まさかこの本が日本で発売する頃には『けものフレンズ』を通してサーバルが有名になっているとは作者は夢にも思わなかっただろう。

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