わたしを離さないで – カズオ・イシグロ

Facebook にシェア
Pocket

先日ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの代表作。特殊な人生を強いられた主人公らから生命や倫理を問う文学的な内容であるが、その前提となる設定がしっくりこなかったこともあってか、個人的にはそれほど。

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。 – Hayakawa Online

イシグロの翻訳占有権を持つ早川書房はこれのおかげで空前の大フィーバー状態らしい(ノーベル賞受賞の舞台裏!一瞬で枯れた在庫!?早川書房で起きた大騒動に迫る!カズオ・イシグロ担当編集者山口晶さんインタビュー前編 – ブクログ通信)。人々が殺到する気も分かる気がする。明らかに日系の名前で「日の名残り」で英国最大の文学賞であるブッカー賞を受賞しているし、気になってはいたものの読んでいなかった……みたいなところにこうなっては読むしかない。

まさしく私もミーハー根性で読んだ一人である。普段あまり読まない文学的な方面で評価されている畑に来たわけであるが……あんんまり合わなかった。ヘールシャム、提供者の衝撃的な事実が明らかになる……という感じで紹介されているが、分かってもやっぱり「うん……?」という感じである。そんな残酷な事実が……っていうより、不可解過ぎてそれ持ってくるかな?というか。

ハヤカワなのでSF的な奴なのかなぁ……と勝手に思っていたが全然そんなことなかった。SFってすごい冷たいというか「これ出来るんならこれ要らなくね?」みたいな無常さがある。この作品を見てると、人間の内臓の提供者を作るのに何でこんなまどろっこしいことしてるの?コストに見合うの?わざわざ人道上の反対を受ける方法をとる必要は?みたいな。現実だと移植用の人間の内臓は構造の似ている豚で代替を考えられているので余計にそう思ってしまう。

『わたしを離さないで』はミステリではないが、やはり謎めいた要素があって、雰囲気も微妙な違和感に満ちている。新聞・雑誌で本書を紹介してくださった批評家の方々も、「どこまで……」という点で苦労されたと聞いている。謎自体は、途中、比較的早い段階で登場人物の口から明らかにされるので、最初から言ってしまってもたいして変わらないという意見もあろう。事実、イシグロ自身がそう考えていて、そんなことは本書の小さな一部にすぎないから、なんなら本の帯に 「これは……についての物語である」と書いてくれてかまわない、とも言っている。

訳者あとがきからの一文であるが、イシグロ的にも書きたいテーマの為に必要だった設定ってくらいで、この設定をフックにしてミステリ的に売り出すってことは考えてないんじゃないかな。

一方で終盤でエミリから語られる、スポンサーとなる世相によって右往左往しついには頓挫することとなったヘールシャム運営のほうに人間と社会の業を感じてそちらの方をメインにして欲しかった(キャシー視点だとそりゃ無理って話だが)。テクノロジーの発達によって下位互換になってしまったが倫理的に棄却が許されないものと社会はどう付き合っていったらよいのか?とか、可哀想と思ってもらうためのプレゼン競争に終始するファンディングの無常観みたいなテーマなら凄い興味あったなぁ。

許しを請うことすらできないことよね。ああ、神様。頭の中で何度繰り返してきたことか。実際に言葉で言ってるなんて信じられない。カップルはあなたとトミーのはずだった。昔からわかってたのよ。わからなかった振りをするつもりなんてない。もちろん、わかってた。どこまで記憶をさかのぼってもわかってたの。わかりながら邪魔しつづけた。

こんなこと考えるのは私だけかもしれないが、この作品、実はキャシーとルースの百合なんじゃないかという気がする。キャシーの反応を予想しながらトミーを奪うルースの執着に憎悪を切り離せない愛憎を感じてしまうのだが、世間的には糞女って感じで終わりだろうな。なにせこんなこと書いてる私ですらそんな印象だから。「日の名残り」と共にイシグロをノーベル文学賞受賞に押し上げたであろう作品への感想がこんなのでいいのかって気がするが。

Facebook にシェア
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。