アルファ・ラルファ大通り (人類補完機構全短篇2) – コードウェイナー・スミス

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SF作家、コードウェイナー・スミスの人類補完機構シリーズの全短編第2弾。一万年以上にわたる宇宙史を時系列上に掲載したマニア向けの原著を和訳したもので、本巻あたりから下級民の権利獲得と<人間の再発見>というシリーズで重要な要素がクローズアップされるようになる。

各短編

クラウン・タウンの死婦人

人類補完機構シリーズの世界においては誰もが知っているらしい歴史上の一大事件を扱う話。冒頭から読者が知っている前提での書き出しで始まり、たびたび「この場面は後世の作品で脚色されているが……」みたいな文章が入る。面白い表現だと思うが、多すぎてさすがに正直クドい(数えてないが少なくとも十回以上出てくる)。

(この時代の)補完機構宇宙では、人間化された動物である「下級民」が奴隷状態で使役され重労働を科せられるのが当たり前となっているが、その中で彼らの立場に大きな影響を与えた事件。エレインは偶然立ち入った下級民区域において出会ったAI、レイディ・パンク・アシャシュに導かれ、犬娘ド・ジョーン、<ハンター>ことバルタザールに引き合わされる。彼らの先導によって上層区域で下級民たちによる行進を行い、管理者である補完機構の高官達に大きな影響を及ぼす。

ジャンヌ・ダルク伝説を下地にしてるんだろうし、主人公はド・ジョーン(英語のジョーンは仏語のジャンヌにあたる)だと思うんだけど、タイトルが指しているのはパンク・アシャシュなんだよな。高度な計算能力でかなり前からこの事件を予言していたという設定らしいが、これ可能なら何でもアリになるんじゃないかなぁと思わないでもない。

老いた大地の底で

地球の補完機構の最古老であるロード・ストー・オーディンは補完機構の調整によって「しあわせのぬるま湯づけ」になってしまった現人類が弱ってきてしまったと主張する。それを確かめるために、補完機構の『保護』が及ばない、地球のゲビエットなる地域に向かい状況を確かめようとする。ゲビエットでは音楽と踊りによって謎のパワーを持つサン=ボーイなる人物に遭遇しこれと戦う。

サン=ボーイは音楽と踊りによってダグラス=オウヤン惑星団のパワーを取り入れている(?)らしいが、こういう「音楽によってパワーが……」というのはこの作品に限らず、一応は科学を主題としたSFジャンルで不思議なくらい見かける。欧米圏だと割合自然な感覚なのだろうか?

補完機構シリーズって「この人、このお話の中で大して活躍して無くない?」って感じのキャラが、この人物こそ○○した歴史上の人物なのです、的な展開が多い印象である。この作品のサントゥーナも<人間の再発見>というシリーズ最重要の要素の立て役者となったレイディ・アリス・モアその人であるというオチだが、このお話だとマジで脇役だし風が吹けば桶屋が儲かる的な因果関係しかない気がする。

酔いどれ船

フランスの詩人、アルチュール・ランボーの同タイトルの有名作品を下敷きにした短編。恥ずかしながら元ネタを読んでいない(と思う。昔アニメのNOIRの影響で「地獄の季節」を読んだんだけど、それに収録されてたかも)ので、どういう落とし込みをしたかは分からず。

顔を無理な角度で左に向けているので、首の筋肉が浮きあがっていた。右腕が体から真横に出ている。左腕を体から直角に突きだし、肘から先をさらに直角に上に向けている。両足は疾走の体勢のグロテスクなパロディだった。

という文章や登場人物の名前で、おや?と思って調べたら、昔ハヤカワ文庫で出てた「第81Q戦争」の解説で、「大佐は無の極から帰った」が

「酔いどれ船」の発表されなかったオリジナル・バージョンである。 (p419)

とあった。なるほどね。

ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち

惑星ノーストリリアは長寿をもたらすサンタクララ薬、通称ストルーンを製造できる場所である。そして、ストルーンがもたらす莫大な富を狙う者に対する独自の防衛機構が存在している。それが「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」であり、その正体は狂気を持って生まれる改造されたミンクたちであった。

長編作品「ノーストリリア」に先立つこと数十年前、ストルーン奪取を狙うベンジャコミン・ボザードは惑星へ侵入しようとする。しかし彼の事前調査の段階で、ボザードの存在はノーストリリアが張った情報網に察知されていた。月面上に住まうママ・ヒットンはミンクたちの狂気をテレパシーに載せてボザードにぶつけ、彼は発狂して死亡する。

「老いた大地の底で」の音楽がパワーになるのと同様、精神的な現象が武器になるというロジックにクラシックさを感じる。昔のSFはスクリーンっていう遮断できる防衛機能の概念があって、それで防いでたりするんだよな。

アルファ・ラルファ大通り

<人間の再発見>とは、今までは補完機構の『保護』の元で取り払われていた危険や不確実性を復活させ、その代わりに今まで失われていた自由への権利を取り戻す思想を指す。

この物語はこの事業の初期の時代を舞台にしており、主人公であるポールとヴィルジニーは『フランス人』という、この時代(西暦16000年代)から見れば一万年以上昔の文化を取り入れた人間として生きることとなった。二人は予言機械があるというアバ・ディンゴなる土地に向かうため、アルファ・ラルファ大通りを登っていく。

……という話なのだが、良く話が分からなかった。一応何が起きているかは一つ一つは分かるのだが、どういう意図があってこうなっているのかよく分からない。ネットで調べてみたが、解説してくれているようなサイトも見つからず。高い評価を受けているこの作品でこんな有様なのだから、SFというジャンルの斜陽が良く分かるなぁ……。人類補完機構シリーズは人類の未来史というよりは神話やお伽噺に近いが、この作品はそういう要素が強い作品なのかもしれない。

帰らぬク・メルのバラッド

補完機構の長官でありながら、下級民の権利獲得に貢献した第七世ロード・ジェットコースト(「クラウン・タウンの死婦人」に登場するレイディ・ゴロクの子孫)と彼に接触した下級民ク・メルの物語。

ジェットコーストは偶然会ったク・メルを通じて、下級民たちのリーダーであるイ・テレケリとの接触を持つことに成功する。彼らは偽装した裁判を画策し、その際にデータバンク<鐘(ベル)>が使用されることを利用してイ・テレケリに遠隔アクセスを成功させる。こうして下級民にとって有用な情報を流すことで彼らの命が救われることとなった。

この描写の後は一気に時系列が飛ぶ。両者の協力はこの先も続き、ジェットコーストの死の頃には、半奴隷であった下級民が市民(留保階級)となり財産や権利を獲得したことが書かれるのだが、やっぱりその経緯を書いてほしいよなぁ。このお話自体はタイトル通り、ク・メルとジェットコーストの関係性が強調される初期の時代の話ってところか。

シェイヨルという名の星

シェイヨルは犯罪者が収容される惑星であり、体部品バンクとして機能する場所でもある。犯罪者の体に養分が投与され、そこから生えた腕や足等の肉体部品は十分育ったのちに切断されて医療用に輸出される。主人公のマーサーらはここで無限とも言える長さの生命を得、スーパーコンダミンという薬物の投与を唯一の幸福としていた。あるとき犯罪とは関係のない人間の子供が惑星に下ろされたことから補完機構との接触が発生、シェイヨルは解放される。

「酔いどれ船」が同タイトルの古典詩を下地にしているのと同様、この作品にもダンテの「地獄篇」の一部を元ネタにしているらしい。が、恥ずかしながらこれも原作読んでないので比較はできず。スズダルがやや唐突気味に出てくるけど、このお話が西暦16000年代で「スズダル中佐の犯罪と栄光」が西暦13000年代だから三千年くらい居たのか?体が生えるというグロテスクな光景よりも、こっちのほうが頭がくらくらする……。

まとめ

かつての私は「最初にノーストリリア読んじゃったよ!これ他の短編全部読んでから最後に読んだ方が絶対いいじゃん!」と憤慨していた記憶がある。だが全短編集が出たおかげで、こ れから読む方は「先に短編集を読んでから」が容易にできるようになるわけだ。いいねぇ、と思う一方でいきなり時系列順にこのシリーズ読んで行くのはきついだろうな……という気もする。

ハヤカワで昔出た短編集の「シェイヨルという名の星」の訳者あとがきでも伊藤典夫が

こうした年表に従った配列は、ちょっと見には便利で読みやすそうだが、ぼく自身は必ずしも全面的に賛成ではない。作家が書くものというのは、その人の内的な成長とともに変わっていくものだし、テーマの掘り下げひとつをとっても、若いころと壮年にはいってからでは、はっきりと相違が出てくるからだ。 (p339)

と書いているが私も同感である。「クラウン・タウンの死婦人」が、さも読者が「帰らぬク・メルのバラッド」を知っているかのように書かれているのも、現実の読者にとっては後者が約二年前に発表されていることが原因しているそうだ。発表順だと遺作(と本書収録の作品前解説に書かれている)の「老いた大地の底で」が最後に来るのかな?<人類の再発見>の始まりを書いて終わるのは結構綺麗かもしれない。

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