江戸しぐさの終焉 – 原田実

「江戸しぐさ」とは芝三光(しばみつあきら)なる人物が創作したマナー集のことを差す。実際には存在しないにも拘らず「江戸時代の人々はこのように振る舞っていたのです。だから現代の我々も~」という過去の時代に威光を借りた内容を持つ。

これだけならまだ良いが、驚くべきことにこの「江戸しぐさ」はマスコミを通じて広く流布されるどころか、文部科学省や学校教育のお墨付きを得て公共の教育の中に姿を見せるようまでなってしまった。その経緯や推察を扱う本。

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誤った史観に基づく江戸しぐさへの批判は以前からネット上で目にしていたので気になってはいた。もちろんその内容自体ではなく「それを浸透させる人間と社会」に対してである。

第一章で書かれる江戸しぐさの現実の江戸とは乖離した内容や、その荒唐無稽な成立を主張する人々の論拠の乏しさを見るになぜこんなものが信じられていたのか悩んでしまう。続く二章で語られる主唱者、芝三光の胡散臭さ(トンデモに関わる人間としては標準仕様と言うべきか……)も相まって、よくこんなものが続くものだと思っていると、2004年に公共広告機構に取り上げるやいなや認知度がうなぎ上りになり、とうとうNPO法人(!)まで立ち上げられる展開となり唖然とさせられる。

面白いことに有名になって金になるという見方がされていくと、今度は芝とは関係のない人々がマナー講座で儲けるために「江戸しぐさ」を利用し始めるようになり、彼らにとって都合のいいように改変が加えられていく。教育業界が取り入れたのはこのあたりの人間の主張からのようで、芝三光個人の創造から二転三転あってのことになる。

何故教育業界がそんなことをしたのか疑問に思うが、著者は「過去の文化を教育に取り入れるとき、本当に歴史のあるものは過去のしがらみが関わってきて多大な苦労を要する。であるがために偽りの歴史は導入に際して有利だった」ということを書いている。鋭い指摘である。

現在「江戸しぐさ」に対してはすでに批判のムーブメントがあるが、これは私が今回読んだ本に先んじて出版された

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この本に端を発する(なので、こっちを読んでおけばよかったかもしれない。うっかりしてた……)もので、これ以降著者は引っ張りだこになるわけだが

一方で、ここまで私に依頼が集中することは、本来「江戸しぐさ」を批判するべき、近代史や教育学といった分野の人々の不在をも意味するものでもあった。 (p127)

というのも、この本で何度も指摘されている業界の自浄性の無さを端的に示している。

自分にとって都合のいいことの根拠に歴史や国際といった権威のあるものを利用する人間はどんな時代でも存在するので、それに対して無批判でいると最悪こうなってしまうのだ。

ちなみに原田先生、と学会の会員だそうである(p146より)。名前聞いたことあるなとは思ったんだよな……。自分が江戸しぐさに対する批判のムーブメントを作った影響で、それを掲載した道徳の教科書がトンデモ本大賞を受賞したのはもう笑うしかないだろうな。

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