屍者の帝国

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伊藤計劃原作、円城塔執筆の歴史改変SFの映画化。原作から大胆な変更が行われている。

原作既読……というか映画化を知って急いで予習(記事)して臨んだ。ちなみに映画化が決定している残り二つ(虐殺器官、ハーモニー)も既読。

放映初日に見るような人たちは熱心な人も多いためか、感想などを見ていると原作との違いや違和感を指摘する意見が多い。実際、原作を読み終わって数時間後に映画を見た自分ですら、こんな話だったっけ?とちょっと不安になった。

最大の変更点は、原作では勤め先からの支給品でしかなかったフライデーに、生前ワトソンと共に研究をしていた親友という設定が加わっている点だろう。そういうわけでフライデーに執着気味になったワトソンが叩かれがちのようだが、私は大義の為よりもエゴで行動する人間の方が理解できるからか、特に悪い印象は無い。

フライデーは原作でもラストを担当するキャラなので、映画の尺にストーリーを収める過程でそういうことになったと思われる(あとは女性人気狙いかな……)。そのために、同じオチなのに印象が異なる。原作ではラスト以外に存在感がほとんど無いキャラだが、映画だと画面内にずっと映っているのでこの辺も印象が違う。

映像の力は凄いというか、作中世界ってこういう風になってたんだ、と感心した。ただ工場の機械の操作やタイプライター打ってる屍者を見てると「これ効率的なのか?」みたいな印象が強くなってしまった。原作だと「有用であるが倫理に反する。しかし効率的であると分かれば遅かれ早かれ実現してしまう」ということが書かれているが、映像のレベルは凄い高い一方でこの辺の合理性が機能しているのかに疑問が産まれる。

日本編の後半あたりからだいぶ話が変わり、Mの陰謀(ハーモニーを想起させるような内容だ)をワトスンらが止めるという、なんかよくある話になってしまって終了。ところで、このアニメ版Mも誰なんだろう?原作のMと同一人物じゃないと思うから、思い切って完全オリキャラにすれば良かったのでは……。

と結構言ってしまったが、限られた尺の中で良く作っているんじゃないかという気がする。尺の制限はこの後に控えているハーモニーと虐殺器官でも同様に抱えているから、この辺の問題でムムム……となっているときっと後も辛かろう。

本来、虐殺器官→ハーモニー→本作と原作の刊行順に従って続く予定だったのに、まさか真逆になってしまった(こういう経緯もあって私も「え?映画もうやるの?」となってしまったのだ)のは笑うほかないが、残り二つも好意的に見ていきたい。もっともアニメ製作会社が倒産した虐殺器官はいつ放映になるか現時点で分からないが……。

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